アヴェンジャー・アントニオ・サリエリは誰なのか。

それについては大部分、私の中では(勝手に)決着がついたのだと現時点では解釈している
のですが、そうするとどうしても見えてこないのが、こんなに彼が粉骨砕身している相手の本音、心情。


つまり、アマデウスにとって彼は誰なのか。

『アマデウスにとってサリエリは真に友だったのか』。

『アマデウスの言う、お互いの「誤解と誤認」とはなんだったのか』。

それに併せて、サリエリが名乗った×××××・オルタの真意についても考えていきたいです。


そうすると今回に限ってはアマデウス関連のネタバレも出てくるはずなので、どうぞどうぞ気を付けてください。



サリエリさんが登場してからこっち、どうしてもアマデウスについての考察もしないと進みようがなくて、第一部のオルレアンをだいぶ読み返しました。
それから、実装される前から絆台詞で触れられていた「自分とサリエリについて」も。

マイルームで話しかける折、アマデウスは「サリエリとだけはお互い誤解と誤認だらけだった」と目を逸らします。
お互いというからには、アマデウスからもサリエリから見ても相手について認識間違いがあったということ。
アマデウスについてはまあ、史実を参照すれば「あのイタリア人宮廷楽長のせいで僕の活躍する場所がない!」あたりかな、と思うのですが、じゃあ、英霊になったあとはどうだったのか。何を持って誤解と誤認ばかりだったと言い切れるようになったのか。
そもそも、サリエリから見たアマデウスの誤解と誤認ってなんなのか?

ここがちょっと、アナスタシアを読み込んでも中々見つけられなくて苦労しました。
恐らくカギになるのは回想の中の「あの男はもっと大切なことを言っていた気がする」。
「大切なこと」ってなんだろうか。


勘違いしがちなんだけど、FGOのアマデウスって「僕って天才!」からの「自分大好き!」かと思いきや、「重要なのは僕の紡いだ音楽であって、僕自身の人生はどうだっていい」んですよ。

だから多分、世間の評価なんて気にも留めていなくて、自分が好きなように好きなものを生み出して残していくほうが重要だと思っていて、なのに全然振り向いてくれない世界や世間の見る目の無さについて――或いは身勝手に崇拝したり一方的に蔑んだりして、多くの凡百が彼を遠巻きにばかり見てその内側を理解しようとしないことを、頼んでもいないのに勝手に怒ったり嘆いたりしてくれる存在がいた。
「どいつもこいつも馬鹿ばかりだ!」と。
それがサリエリだった。

サリエリだけは分かっていた。
サリエリだけは、アマデウスが何を見ているかは理解できないままでも、彼が見ている何かの存在については気が付いていた。
明かりの落ちたホールで顔を覆う彼の姿に気付いていた。
そして、その内側に渦巻く何かと戦っていることを。

でもそれを見出せないままだったのが、そのままサリエリとアマデウスの違いだった。
鬼才と秀才、非常人と常人。魔術師と音楽家。

自分が世界を作るんじゃなく、世界が自分を作る。そしていつかその世界を越えなければいけない。
自分の生きた証を残さなければいけない。それがアマデウスにとっては音楽であり作品だった。
それがサリエリには分からなかった。
評価されないことが理解できない。評価されずに平然としていられることが理解できない。
彼は怒るべきだし、その必要があると思い込んでいた。
彼が音楽を愛するならば、音楽は彼を救うのが道理だと。

アナスタシアの独白のシーンは、大衆から押し付けられた悪意や憎悪に塗れながらも、完全に愛(敬愛または崇拝)の告白でした。
読んでいて胸が潰れるかと思った。
しかもこんなに憎んで(愛して)いるというのに、当のアマデウスは「さくっとやっちゃいなよ」。なのでまたサリエリは絶望の淵に落ちるのです。

そもそもアマデウスにとってサリエリは友ではないはずなんです。
それは好き嫌いという意味ではなく、彼の信条の問題。

彼は音楽だけを愛する生き方を選んだ。だからトモダチは作れない。
アマデウスがオルレアンで言及してしまっている、「マスターやマシュでさえ仲間(トモダチ)だと思えない」ないし、自分は「人間的幸福」であるところの友達を望んではいけない。
そんなことをしたら「自己嫌悪で消えてしまいそうだ」。

ただここで気になるのは自己嫌悪というからには、それは自分には相応しくない、或いは高望みをしすぎていると捉えているらしいこと。

それに少なからず、天才と大衆の構図の外れから、届かないと知りつつも手を伸ばしてくれるサリエリのことは多少なり好ましい存在だと思っていたように見えます。
わざわざ頼んでもいないのに、他人(自分)のために怒ってくれる彼を。

誰もアマデウスの隣に立とうとはしなかった。
そんな中で唯一、劇場の幕の間から声をかけてくれた存在。
彼が本当に戦っているものの正体は分からなくとも、ただの人間として彼を観ようとした。

だから、世間的に彼らは友で、しかしアマデウスの信条としては友ではなく、それでも心の奥底では、友達であったらどんなに嬉しいだろうかと、ちらりとくらいは考えていたんじゃないか。

ちなみにサリエリさんの方は堂々と、親友と友情という範疇内に彼が存在していたことを言っているので、愛憎入り混じりながらも友であるつもりはあったのでは。


実は、このサリエリの誤解と誤認は、アナスタシアでの彼の登場の仕方に大分影響を及ぼしているような気がします。
前提として、アマデウスは世界を恨まない。
自分を救わない人の営みをを恨むつもりもないし、音楽が世界の絶対じゃないのも判っている。
そもそも救済が死だなどとは考えてもいない。

そんな彼の矜持と真逆の存在。絶対に彼の中には存在しない側面。
だからサリエリは呪いをかけられてもアマデウスを名乗れなかった。
結果、彼が成った姿は『アマデウス・オルタ』。
あの姿は本当の意味でアマデウス・オルタだったのでは。
(そもそもアマデウスでオルタなんていったら完全にアムドゥシアス案件なので…急激に闇が深くなるんですよね…)


なんだか考えても考えても底に至らなくて、気付いたらこんな長さになっていました。
しかも現在進行でまだまだこうじゃないか、ああじゃないか、これはちがうか?と噴出してきます。

だからいつまでも目を逸らせない。
だからせめて、英霊になった後くらいは幸福を得て欲しい。

ついでいうと何の脈絡もないお祭り騒ぎのイベントに駆り出されて、自分の本懐のところの殺意を忘れるくらいぐだぐだにもみくちゃにされてほしいのです。

そういえば先日のFesのアニバーサリーブックでは「甘味を味わっている間はアマデウスへの殺意もどうでもよくなるくらいに自我が保たれる」という公式側からの切り返しがあったようで、やっぱりあれはサリエリさん本人なんだなあとやたら安堵してしまった私なのでした。

せめて世界と運命の外側では、他愛なく友情を噛み締められるといいのにね。
とりあえず、「サリエリとは誰なのか」についてつらつらと言葉に固めるのはここまでにしておきます。