熱心に想い馳せているうちにその3まで来てしまいました。

そろそろ終わりにしたいのですが、いかんせん気になるところが多すぎる。
2部1章後にイベントが来ても2章が公開されてもまだまだサリエリさんのことを考えてしまう理由がここにあります。
そして3周年記念のエクストラ福袋で大量のサリエリさん所持マスターが世界中に爆誕しました。
かの方々にもめいっぱいサリエリさんを使って親しんで悩んでもらえれば嬉しい限り。

ちなみにFesについてはまた後日、落ち着いた頃にまとめます。


さて今回触れておきたいのは、『宮廷楽長と復讐者の相違または類似性』、つまり

『史実の彼とサーヴァントの彼について』








こういう、元ネタがあって新たに創造されたキャラクターにすっころぶ度に、どうしてもその元ネタについて調べたくなる悪癖のある私。
そうすると今回だって、あんなにアナスタシアで苦しんでいた彼と、史実上の宮廷楽長と、ついでに大衆の作り上げた創作上の彼について、様々見比べたくなる。

今回で言うとFGOでのアヴェンジャーから入って、映画『アマデウス』を見て、プーシキンの『モーツァルトとサリエーリ』を読んで、そのあとに『サリエーリ』読んだんですよ。
サリエリがアマデウスを殺していないことは真実だと知ったうえでのスタート。
そうすると、どれもこれも本当に無辜の怪物だったことが分かる。
また読み返したいので復刊を心待ちにしているのですが(そういえば先日色々あって増補改訂版の復刻が報告されましたね、水谷先生ありがとうございます、楽しみにしています)、第一印象は
「史実のサリエリって、モーツァルトに構っている暇も必要もなくないか?」
ということ。

宮廷楽長として多忙を極めていて地位も名声も既に不動なのに、(いくら才能が抜きんでているとしても)ぽっと出のうだつの上がらない新人音楽家なんて取るに足らないのじゃないか。
ちなみに当時のモーツァルトの音楽は皇帝的には「騒々しい」「音が多すぎない?」ということで、そういう感性を持つ人も大衆の中にも少なくなかったのか、現代ほど崇高崇拝的扱いではなかった模様。しかも、恨み言を言うのはモーツァルト(とその父親)。サリエリが妨害してる!って騒いで足を引っ張ろうと、自分にスポットが当たらない理由を正当化している印象を受けます。
そうやってぎゃんぎゃん捲し立てる若者を「うーんしょっぱい……」と遠巻きに見ていたのではなかろうか。
「でも彼、音楽は秀逸なんだよなー」と。

だから本当に彼自身の純粋な意志でモーツァルトを憎んでいたかというのは、FGOの先生ほどではなかったかもしれない、というのが希望的観測。

まあ、ウィーンのど真ん中で音楽界の頂点に居続けるのがイタリア人音楽家、というので派閥のあれこれはあったのでしょうけど(そして恐らく、それが原因でモーツァルト暗殺疑惑なんてものが晩年に急に出てきた)、少なくともサリエリ自身にはあまり関係のないことだったのでは。

中にはちゃんと暗殺否定派もあったようだけれど、大衆というものはいつも『ドラマティック』なほうを真実にしたがる。
「あのモーツァルトが早世したのはきっと理由がある、そう例えば、病死ではなく毒殺だったとか? 当時彼の存在を邪魔に思っていた人物がいたとしたら、誰だろう?」

それが湧き上がったのはサリエリの晩年も晩年。当時にしては長生きでもう60も越えていて、それなのに音楽学校作ったり弟子の指導したり音楽の勉強したりと精力的に活動していた、そのまま幸せな人生を終わらせるはずだったご老人の最後の数年に無理矢理に落とされた青天の霹靂。

何度振り返っても、どうしてそのまま穏やかに余生を送らせてあげられなかったのかと私がアヴェンジャー化しそうな勢い。
しかも『古く』なってしまった彼の音楽は、ゴシップの力も手伝って歴史の外側にはじき出されていく。

その糸を手繰り寄せたのが(皮肉にもあの暗殺の噂を基礎にした)プーシキンの戯曲であり、『アマデウス』であり…そこからやっと「本当のサリエリはそんな人じゃない!」と研究者が声を上げ、巡り巡ってFGOに名前が並ぶ。

そういう意味では誰を恨み誰に感謝を述べればいいのか分からなくなるところだけれど、
確かに『アマデウス』、作品としてとても素晴らしかったです。音楽も衣装も、ちゃんと当時の風俗に則った演出も。オーディオコメンタリーを聞けば製作の方々がちゃんと「史実のサリエリ」を知ったうえであれを作っているのも分かるし。
でも、もしかしたらもう、こんなにもサリエリに傾倒してしまった今となっては二度と鑑賞できないかもしれないレベルの無辜の怪物なのも確かなわけで。

慈善活動に勤しんでいたとか、弟子から謝礼は受け取らなかったとか、新皇帝の戴冠式なのに新曲を作らずにモーツァルトから楽譜を借りて演奏したとか、甘いものが好きだったとか、奥さんに一目ぼれだったとか、子だくさんだったとか、
史実サリエリの良さを語るとまた文字数がとんでもないことになるので、今回は完全に割愛したいと思います。
詳しくは年内に復刻されそうな『サリエーリ』読んでください。文章的にも読みやすいのでおすすめ。

で、結論からして史実とFGOのサリエリの中にどれほどの乖離があるかというと、
モーツァルトにどれほどの愛憎を抱いていたかの多少くらいで、あとは殆ど同じ=ちゃんとベースにしているんじゃないかなと。

最初は「もしかしてサリエリにとってはモーツァルトはああ、いたね、そんな子…もっと長生きしてたらなー」くらいかと思っていたんだけど、サリエリのレクイエムにモーツァルトの『おお聖なる絆よ』の一節が使われている辺りを見ると、やっぱり生涯忘れられなかった友だったのかな、と。
だって前述のように、新皇帝の戴冠式にあてつけに楽譜を(恐らく本人から借りて)持って行ってしれっと演奏するような仲だよ。モーツァルトも絶対ノリノリだったでしょ。
だったらこれも盗作とかじゃなくて、ただ単に「我が友モーツァルトなら笑ってくれるだろう」という思いから使ったんじゃないかなと想いを馳せたくなる。

さて、ここで『史実の彼とFGOの彼が基本的に同じ人格』だと仮定すると、また別の仮説が浮かんできてしまったりする。

もしかしたらサリエリさんは、「自分の愛した音楽のあった世界を救うために」「敢えて醜聞という汚名を被って復讐者になってまで英霊の座に上がることを望んだんじゃないか」。
「どうせ私などでは英霊とやらにはなれない、ただの人間では世界を救うことはできない、けれどもしもその手段がひとつだけあるのなら」。
敬虔な信者であり生前に慈善活動に勤しみ弟子からの謝礼は受け取らず、果ては後世のためにと音楽学校まで作った彼ならやりかねない。しかも蔑ろにされても最後まで宮廷楽長を勤め上げた鋼の心臓の持ち主。

そこにFGOの彼が抱えている『世界は、人の営みはアマデウスを救わなかった』。「今度こそ自分が彼を救えるのなら」。
そう考えてもおかしくはないんじゃないか。
ちなみにこのアマデウスとサリエリと彼らを包む世界については、アマデウスが言及している『お互い
誤解と誤認だらけだった』に繋がると思うので、また次回に回します。


そういえば、ブリュンヒルデの持つ『愛する者』特攻の対象にサリエリさんとアマデウスも入るらしいですね。
愛する者の定義は凡そ彼女が「英雄=自らが傷を負おうとも誰かのために戦える者達」だそうなので、復讐者であるサリエリさんが入るのは普通なら違和感。
でも彼を見てるとどう見ても愛するもの。
音楽を、ないしアマデウスをその才能を。

多分史実サリエリがそのままサーヴァントになるとしたら間違いなく(音楽界の)ルーラーなんですよね、生き様や信念が。霊基の歪みで間違って☆3ルーラーとかで再参戦しないですかね。
あー、もしかしてそういう意味で反転した先のアヴェンジャーなのかも…?

そしてどうでもいい話なのですが、私は史実のサリエリもFGOのサリエリさんもそれぞれ好ましく思っていて、決して同一人物だと錯覚してはいないのです。
それぞれに魅力があって、当然元ネタだから重なるところがあって、史実も創作もどちらも好き。
いわば推しが一気に二人増えた状態と言えましょう。


さあ、ここまでサリエリ側の視点・感情からあれこれ思い悩んできたのだけれど、
実の所もう一つ大きな懸念材料があるのです。
こんなにサリエリが慟哭しても全然見えてこない、
『アマデウスにとって、サリエリは真の友だったのか?』

長くなったのでまた千切ります。