何を書いていいのか、どこから切り出していいのか分からない。
ここ数日、そんな思いのままエディタを空白にする日が続いている。

書きたいことは沢山ある。言葉にして整理したい気持ちはある。けれど、確かな言葉として短くまとめる自信がない。だからいつも、最初から何も書かないまま終わらせてしまう。

愉しいことだけ考えていたい。
仕事は楽しい。人間関係は微妙だけれど。
今の生き方に満足している。不満がない訳ではないけれど。
描くことは容易い。実行するには、多くのものに縛られている。

どうやら、あまちゃんではついに『あの日』を迎えるらしい。
何事もない毎日、その地続きだったはずの日常。
何も予期しないまま(もしかしたら長年の、余震という警告では勘付いていたかもしれないけれど)、毎日見ていた風景が、長く付き合っていた誰かが、いなくなってしまった新しい世界。

例えば、世界線というものが存在するとしたら。
あの日を境に私は(私達は)、全く別の世界に辿り着いてしまったのだと思う。

思い起こせば小さい頃は、自分の『しんだあと』について考えては震えていたような気がする。
 何十年も生きて、おじいちゃんやおばあちゃんのようにとしをとって。
 自分はどうなるのだろう。例えば生まれ変わりがあるとしたら?生まれ変わった自分は自分なのだろうか。
 今ここでこうしているみたいに、またおかあさんとおとうさんとくらしているんだろうか。
――そういったことを性懲りもなく、小さな頭で考えていたような気がする。

けれど今。というか、あの日から。
固定されていなかった家具が荒波の船上のように左右に滑り、窓の外で隣接の木造家屋が静かに潰れていくのを見ていたとき、ああ、死ぬことは怖くないのだと悟ってしまった。
そうではないのだ。
揺れのおさまった後、ちらつく雪を見ながら震えていたのは、何も寒かったからではないのだ。
怖いのは、誰かを失うこと。家にひとりで居るはずの祖母のこと、職場に居るはずの両親のこと、少し離れた都市部で暮らす兄弟のこと。
あれから、どうやら二年、経っているらしい。
だというのに、あの怖さは今も薄れていない。

例えば叶うのなら、自分の寿命を切り取ってでも、大切な誰かと『共に過ごす』時間を一秒でも長く、味わっていたい。

と、まあ、ここまで長々とキーボードを叩いたけれど、恐らく投稿ボタンを押すまでには、また幾つかの文章を削除しているに違いない。

本当に抱える想いは、きっと、自分の心の奥底に縛り付けておかなければいけない気がして。
そうして、2013年の夏が終わる。