夢とは何かということを考える。
叶えるべき夢よりも、今進む道の先にあるもの。それは確かであり不確かであり、迷わず突き進むことが出来る、それだけは強く確信できる。

今が、夢の只中に居るかと言えばそうではなくて。
けれど間違いなく、理想としていた夢に似たものの傍に上手く寄り添うことが出来ている。

だから、私はそのひとつの夢のその先に、新たな夢を据え置く。
叶えることがゴールだと、思っている訳ではない。そうではなくて、人間は欲深い。例えばひとつ、それが叶ったとして、けれどその瞬間には明らかに新しい夢を持つ自分が生み出されるのである。
運命のペダルは、左足で漕げば右足が待っている。右足が回ればまた、左足が上に来る。その繰り返し。それが上り坂であればこそ、漕ぐことをやめると云う選択肢は見当たらない。

勿論、自分を過信しているわけでもない。むしろ、渇望している。
また次の夢へと。あまつさえ叶う日を夢見ている。
叶えることが出来ると、否、叶えたいと。口には出さずとも、己さえ気づかない所で願っている。

私の夢とは何か。それを考える。
今が過不足なく幸福であることを物足りなく感じ、或いはそれよりも高みを目指し。

現段階で言えることは、誰かが幸福を味わう手助けをすること、それが目下私の叶えたい夢である。
そう、だからこそ、山積みの箱も恨むことなく、開くことが出来る。
明日もまた働くことが出来るのである。

この身に僅かずつの違和感をも覚えながら。