埠頭の倉庫街というものは、どこまでも探偵らしい場所だとつくづく思う。
 それを誰から教わったということでもないけれど、閑散とした灰色の海、カモメの声、貿易船の汽笛。どれもが霧に隠れて曖昧で、まるで自分自身の存在さえも背景の一部になってしまったかのような、それでいて何もかもを一歩後ろから眺めている第三者の感覚に陥る。
 ここが、白城の場所なのか。
 潮風で錆びたシャッター、薄く紗のかかった硝子窓。剥き出しの鉄筋。終焉の地と形容するに相応しい光景だった。生きているものの気配が、とても薄い。

「ハル?」

 直接声が響いて、悠花は瞬きを繰り返した。途端に波の音が近くなって、自分の足元がコンクリートだということを思い出す。
「あ……すみません。少し……ぼんやりしていました」
 素直に答えると、にっと快活な笑みが頭を撫でた。数瞬前まで見詰めていた筈の白城の両目は既に物思いに耽ってはいない。もしかしたらそれ自体悠花の思い過ごしだったのかもしれない。

「もう行くか」
「はい」
 吐き出された白色の煙に視線を奪われながら。
 残念なことに、海風の塩辛さを感じることまでは出来なかった。


 繁華街までは僅かに十数分。交通機関を使えばもう少し早く辿り着けただろうけれど、幸いにして時間は充分にあるためにのんびりと足を運ぶこととなった。
 海の気配が遠くなるたび人の生活の気配が強くなっていく。駅の近くまで行けばアーケードに溢れる大勢の人々を目にするようになり、散見されるセーラー服の少女達は、誰彼も笑いながらお喋りに花を咲かせている。
 楽しげな表情に思わず目を奪われていると、隣を歩く白城が彼女に尋ねた。
「この辺は初めてか?」
 悠花は僅かに思案したあと、戸惑いがちに首を傾げた。
「よくわかりません。見覚えはないように思いますけど」
「ハルは高校生だったんだっけか」
 その左手がポケットを探っているのを見つけて、歩き煙草はよくないですよと窘める。そうすれば白城は観念したように両手を上げてみせる。
「はい。でも、知らない制服ですね。やっぱりこの辺は私の住んでいた場所じゃないのかも」
「そうだな。ハルくらいだったら覚えてるはずだもんなぁ」
 すれ違う人にぶつからないように、器用に人の波を掻き分ける。それに置いて行かれぬようにと、ぴったり彼の横に付き従う。
「お前、俺んとこに来てどれくらいになるっけ」
「まだ半月くらいですね」
 そんなもんか。などと、意外そうに眉を上げるのは白城だった。
「なんだか随分長いこと一緒にいる気がするな」
 通りかかったカフェのオープンテラスにも窺える、テーブルを囲んで談笑する少女達の姿。こちらは制服姿ではないけれど、やはり年の頃は十代半ばというところだ。

「お前も少し前までは、ああして過ごしてたんだもんな」
 嘆息に似た呟きは悠花の耳にも届いた。見上げれば視線は真っ直ぐ道の先を見るばかりで、既に悠花のほうを眺めることもない。
 表情は穏やかだった。普段通りの白城の姿。けれどよくよく注視すれば、眉の端が僅かに下がっている。それは一種の癖なのだと、悠花はもう知り得ていた。
「けど、惑わされるな。意識を取られすぎるな。帰れなくなるぞ」
 電光掲示板の示す昼下がりの時刻。賑わいを増す街の中心地。その只中に紛れる二人の姿など、行き交う人々の誰も気にかけたりはしない。
 視線はこちらにないと知りながら、小さく頷く。それでも意思を示すには充分で、男の口角が優しげに上がった。
 その間にカチリと、また新しい生の時間が刻まれる。