車窓から見える風景はまるで夜の中を走る列車のそれに似ていて、深い深い紺碧が枕木以外の全てを覆いつくしていた。
 イタリアン・ブルーの車体、ところどころ浅黄色の彗星が描かれた列車の中。
 頭上に見える星の帯は天の川でいいのだろうか。目を凝らせばぽつぽつと銀河の姿が散らばっていて、時折車体を掠めるように横切る彗星の尾がちらちらと私達の視界を彩っていった。

 走り去ってきた方角を仰ぎ見れば、先刻発った星の雲の影さえ目視することが出来た。通常では俄かに信じがたい話だ。異星間の旅行。それもたった一枚の切符を片手に、気軽に尋ねていけるような。それもこれも、一人の魔王の力あってこそ。その異様さを体感しているのかいないのか、私の主人はしきりに窓の外の景色に嘆息している。

 私は、携帯端末。少し前までただの携帯端末だったもの。
 今は訳有って、魔王の部下のひとりとして存在し得ている。

「しかし、あなたが八魔将のひとりだったとはね」
 流星の活動が落ち着いて、私の主人もまた大人しく座席に座りなおした。向かい合わせのコンパートメントに二人掛け。頭一つ分低い視線が、怪訝そうにこちらを見つめてくる。
「まぁあなたの修理は何度もお世話になってるし、考えられないことでもないのだから今更って感じもするけど」
「気持ち悪くはありませんか。急に見知らぬ存在になった私のことは?」
「うーん。そうね、まだちょっと慣れないけどね」
 呑み込みがいいのか、適応力が高いのか。普通なら困惑するような展開を、さらりと頷いてしまう主人は偉大だ。
 それでも恐らく、勢いで順応しているだけで理解している訳ではないだろうから、とりあえず彼女に問いかけてみることにした。
「安里様は、擬人化という言葉をご存知ですか?」
 どこか変な質問だったろうか。一瞬彼女の表情が止まり、それから人を疑うような目でこっそりと様子を窺ってくる。
「え? ええ、まぁ、人並みには知っているつもりだけど」
「つまりは、そういう仕組みらしいですよ。いわば携帯端末の擬人化です」
「……それって、もとからそういうことじゃなかった?」
「いえいえ、視覚的感覚的なことではなく、実体としての完全人間化らしいです」
 なので、怪我をすれば血も出るんですよ。意味もなく得意げに付け加えてみたが、どこを使って証明すればいいのかわからないので、とりあえず主人の腕をとってその掌を左胸に押し付けさせる。
 とくとく。掌を通して血の流れを感じる。生物独特の鼓動は、広い宇宙の中にいても変わらない。
「さすが魔王。カラクリは全然分かんないけどサスガだわ」
 ほう、と感心する表情には満足するが、結局理解を得られた確証が持てずに苦笑する。

 窓枠の端を先頭車両の蒸気がなぞって消える。
 この真空状態の中で一体どうして空気が流れているのか、深く考えても結論がでることはないので気にしないことにした。
 ふと車両を見渡せば、談話車両のひと気はまばらになっていた。同じ旅行の同行者達は各々寝台車のほうへ戻ってしまったのかもしれない。あるいは食堂車のバーカウンターで最後の酒を楽しんでいるのかもしれなかった。
「そうだ。私、お土産買ってみたの。木星で」
 一方の主人は興奮冷めやらぬ様子で、足元に押しやっていたボストンバッグから何かを取り出した。二十センチ四方程度の平箱だ。包装紙を破いて厚紙の蓋を引きあけると、中には天然石の装飾が数点並んでいた。
 そういえば主人は普段、遠出をしても土産物を買わない主義だった気がする。珍しいこともあるものだと聞いてみれば、くすぐったそうに笑って、
「モノより思い出ってね。でも今回は滅多に行けないところだから、一揃いだけ買ってみちゃった」
 見れば確かに装飾品はセットのようだ。ピアスと指輪とチョーカー。それぞれが主張しすぎず控えめで、シンプルな中にもどこか目を引く存在感を称えている。
「イオの火山で取れたオリビンを加工したんだって」
 オリビンとは宝石でいうペリドットだ。銀色の台座に留まるジュエリーカットの原石、指輪は絡め捕られる雲母柄、チョーカーはプレート上の石を木星に見立て、星屑を散りばめた飾りだった。よく見ればそれぞれに小さく星が模られていて、ピアスにはひとつ、指輪にもひとつ、チョーカーには二つ惑星が並んでいる。ガリレオ衛星になぞらえているようだ。
「綺麗な緑黄色ですね。細工も繊細で丁寧です。良い買い物をされましたね」
 頷けば、満足そうな笑顔。主人はチョーカーの皮紐を持ち上げて、何を思ったか私のほうに差し出した。

「これはあなたにあげる。ピアスは私ね」
「指輪は誰に差し上げるのですか?」
「ふふふ。なーいしょ」

 少しだけ朱のかかった目元に、誰に向けていいかもわからない嫉妬を覚えてみる。この感覚を嫉妬と呼ぶのだと、魔王が言っていた。人間の感情というものには未だ慣れない。
 けれど、無闇に心地の悪いものではないということは分かった。
「お気持ちは嬉しいですが、私などが持っていても仕方ありませんよ。素敵な装飾品なのですから、お気になさらず安里様がお使いください」
 半分は本心だったのでやんわり首を振って遠慮を表す。デザインは無骨な私でも違和感がないほどの上品なものだけれど、やはりこれは女性である主人にこそ似合うと思うのだ。
 それに、私は彼女に何も買っていない。これではいずれにしろ釣り合いが悪い。
「せっかくお揃いに出来ると思ったのに」
 わざと膨れてみせる頬に、つい微笑を浮かべる。
「アサトさんとはお揃いにしないのですか」
「あの子はもう、私だけのものじゃないから。それにあの子自身、お揃いにしたい人がいるでしょう」
 言葉の後半は、呟くように落ち着いていて。

 その表情に私が思い出すのは、昨年末のあの『事件』。あれがアサトだけでなく主人の心にも色濃く影を落としたのは紛れもない。
 アサトから引き取った苦しみを、主人は何処へ昇華したのか。そう想いを馳せる度に、その横顔に察する度に、私はいつも彼女の腕を取りたくなる。
 嗚呼、どうしてこう人間の感情というのは歯痒いのか。私がただの携帯端末だった頃には、こんな不安はなかったのに。
 こんなにも面倒で厄介で愛おしい感情というものを上手く操っている。そんな主人を改めて誇らしく思う。否、それは人間にとっては、当たり前のことなのかもしれないけれど。

「私だけは――」
 無意識的に口から出た言葉の端。
 その続きを問うように返される瞳に、息が詰まった。

「……いえ。今の私では説得力がないので、地球に帰ってからにします」
 とっさに軌道修正する言葉。静かに目を伏せれば、なんでもないように彼女が笑う声が聞こえる。
「――そう。変なの」