教練用の仮想標的が高く飛び上がった。

 弓なりに反った背と、低く構えられた四肢。それに気付いていれば難なく狙えるはずだった。なのに今、私の目の前にあるのは獣の腹部。勿論普段四足で疾走している生き物が、突如敵に対してお腹をさらすことなどない。それなのにありありと、それこそ硬い毛並みまで確認できるほどの状態がどんなものか。それを理解するのに少しばかり時間が必要だった。

 ――頭!

 切っ先を銃に持ち替え、出来る限り早く対象の急所を狙う。一発目はなんとか着弾、二発目は耳のすぐ脇を通り抜けていく。
 ぎりぎりのところで獅子に似た獣が体勢を崩した。ひるんでいる隙に、続けて両前足へ発砲。これは両方が足元へ被弾。弾切れ、リロード!大慌てで撃ち出した一発が頭に命中する。けれど、それだけ。飛び掛る重力からは逃げられない。あっという間にその影が私の視界を遮った。背後へ飛びのいて、受身。同時に真後ろから怒声が飛んでくる。

「遅い!」

「すっ、すみません!」

 とっさに答えた目の前で顔面を覆っていた装甲が破砕される。獅子がバランスを崩し、私とは反対の方向へ倒れていく。
 そうしてプログラムは地響きも立てないまま倒れ、そのまま消失した。
 ふう、と息を吐けば、それよりも大きな溜息。

「お前……これじゃ手作りクッキーなんかじゃ足りないぞ」


 元々は、私からお願いした演習でした。同じ新型同士であることと、彼が討伐班のリーダーであること、そんな理由から、無理を言って付き合って貰っていたに過ぎません。今の彼の――リュカさんの顔色を見ていると、よくOKしてくれたものだわ、と我ながら感心するしかありません。

 普段のリーダーは余暇と昼寝が大好きな非アクティブな人。放っておくとずうっと黙っているような、他人に興味があるかどうか分からない人。けれどひとたび戦場に出れば、仲間を第一に思うリーダー然とした心の持ち主だということも知っている。ただ、それを言うと彼は真っ向から否定するので、私もあまり口にしないようにはしているけれど。

 灰色の髪に、目が覚めるようなルビーの瞳。
 ショートブレードで躍るように敵を裂く姿は、まるで最初から決められている演目を見ているような緊張感と安心感、それから魅力を憶えます。
 私は役割上ソーマさんのサポートをしていることが多いけれど、時々リーダーについて任務に出ると思わず溜息が出てしまうくらい。
 ついでに言って、私も短剣にしようかな、なんて過ってしまうくらい。
 大剣が主流の私には無理な話なんですけどね。
 だからこうして、命の危険なくリュカさんの戦う姿を見れる時間というのは、自分の演習だというのを忘れないようにするのが必死なくらい貴重で重要な時間です。

「……随分余裕だな。もう一回やるか?」

 ニヤニヤ笑いが表情に出てしまったのか、ちょっとめんどくさそうな視線が私を窘めます。その指がハッチの横のレバーに伸びたのを見て私は急いで首を振りました。

「間に合ってます!それにほら、もう時間ですよ」

「まだあるだろ。五分もあればもう一体くらい」

 今度は彼がニヤリと笑ったので、私は恐々とした思いでその腕を引き止めたのでした。

 結局次の演習者が待機していたために、私達は早々と教練室を後にした。私はヘトヘトで、指南役のリュカさんは涼しい顔。あんなに息つく暇もなく剣を振るっていたのに、一体どこにそんなスタミナが蓄えられているのかな。

「ああ…もう、ダメダメですね…」

 独り言の弱音を吐くと、リーダーは眉の端を吊り上げる。
 今日は定期的にお願いしている私の特訓。普段馴染みのない銃や剣も扱えるようになろうと思い立って随分経つにも関わらず、中々私の腕は上達しない。
「襲撃銃は弾数があるんですけど、上手く狙いが定まらなくて。それとも、火力を考えてブラストにするべきでしょうか。どう思いますか?」
「慣れないものを持つと足を引っ張るぞ」
「分かってますけどー…」
 武器を放して空いた両手をぶらぶらさせながら、二人揃って居住エリアへのエレベーターを待った。昼下がりのエントランスは仕事終わりの人たちがゆったりと過ごしていて、忙しない日々の中にもこうして穏やかさがあるんだと実感出来る。
 程好い疲労感と、充実感。いつの間にか染み付いている安堵の印。
「そもそも、何で急にこんなことを思いついたんだ。使えるものを極めればいいんじゃないのか」
 不思議そうに首を捻る横顔を見ながら、大人しくそうするべきなのだろうかと思案する。けれどすぐに首を振り直して、それじゃあ駄目なんですよ、と両手を握った。

「私は、どんな戦況であっても確実なサポートがしたいんです。動きの素早い敵でも、大きな体躯の敵でも、前衛の人達が安心して戦えるようになりたいんです」

 ふうん、と、感情の読めない相槌が帰ってくる。突拍子も無いことだとは分かっているけれど。それでも、同じ隊の皆さんの役に立ちたい、ひいては人々が少しでも安息を憶えられるように手助けをしたいというのは、此処に配属されてからずっと思ってきたことだった。